焦点距離を調節するということは、瞳の筋肉でもって水晶体を厚くしたり薄くしたりするってことだったかな。
若いうちは厚さの調整代が多いから、焦点距離が広範囲。
若いうちは厚さの調整代が多いから、焦点距離が広範囲。
歳をとって調整代が無くなってくると、決まった範囲でしか水晶体厚さ調整ができなくなるので、遠くしか見えないとか、近くしか見えなくなるらしい。
近視の人は水晶体を薄くする能力が弱いので、遠くにピントを合わせる事が出来ない。
レーシックにてレーザーで掘削し瞳の厚さを薄くすると、焦点距離が遠方へスライドするわけだ。
レーシックにてレーザーで掘削し瞳の厚さを薄くすると、焦点距離が遠方へスライドするわけだ。
調整代が遠くに設定されている場合、同じ厚み調整でもピントの合う範囲は広がる。
これが近くに設定されると数センチの奥行きでしかピントが合わない。
カメラの被写界深度と同じかな。
レーシックで目が良くなったと感じる訳はこの被写界深度の差によるものなんだと思う。
これが近くに設定されると数センチの奥行きでしかピントが合わない。
カメラの被写界深度と同じかな。
レーシックで目が良くなったと感じる訳はこの被写界深度の差によるものなんだと思う。
遠方域で被写界深度が深いので、ある程度のクオリティで見えてしまうが、本当にピンが来ている目には叶わない筈だ。
先生の言葉で印象に残ったこと。
『若い目は目に備わった力を総動員して、本来見え難い筈のものを認識できてしまう傾向がある。
だから術後の経過が良いと思われるが、本当に安定するには相応の時間が必要』
だから術後の経過が良いと思われるが、本当に安定するには相応の時間が必要』
これには思い当たる節があり、感心した。
ひょっとして見た事もない言語文字で視力検査したら、案外若人の初期の視力は低いのかも(ワハハー)
ひょっとして見た事もない言語文字で視力検査したら、案外若人の初期の視力は低いのかも(ワハハー)
近眼で眼鏡を掛けていた人は分かると思うけど、眼鏡を外すと全ての物が大きく見える。
てゆーかこれが本当の大きさか(ワハハー)
30年以上眼鏡をかけ続けてきたわけで、いきなり裸眼で街を歩くと、なんとも言えぬ解放感があるのと同時に、不思議な無防備感を覚える。
てゆーかこれが本当の大きさか(ワハハー)
30年以上眼鏡をかけ続けてきたわけで、いきなり裸眼で街を歩くと、なんとも言えぬ解放感があるのと同時に、不思議な無防備感を覚える。
そよ風が吹いただけで目の周りに感じる感覚が敏感になっていることに気づく。
加えて左目に対して右目の視力回復が遅れているせいで、遠近感もおかしくなっていることから、平衡感覚までも影響を受けている感じ。
加えて左目に対して右目の視力回復が遅れているせいで、遠近感もおかしくなっていることから、平衡感覚までも影響を受けている感じ。
真っ直ぐ歩くとか、曲がり角は左右を良く見てとか、今までは脳を介さずに行動出来ていた部分がリセットされてしまったようだ。
ドアノブのボタンを押して施錠したかどうかを思い出せなくて、もう一度戻って施錠を確認することがあるが、あれは脳がボタンを押せと命令している訳ではなく、指~腕の神経が脳の代わりをして動作するらしい。
だから脳では直前の動作なのににボタンを押した記憶が無い。
故に心配になってもう一度脳を介して施錠するわけだ。
故に心配になってもう一度脳を介して施錠するわけだ。
日常生活でパターン化された動作はこのシステムで行われる部分が実に多い。
視覚が関わる部分に関してもかなりの部分でこのシステム効いているので、これがいきなりリセットされてしまうと様々な動作がぎこちないものになっちゃうのだ。
視覚が関わる部分に関してもかなりの部分でこのシステム効いているので、これがいきなりリセットされてしまうと様々な動作がぎこちないものになっちゃうのだ。
車の運転なんかはかなり大変で、サイドミラーを確認するだけの事がいちいち頭で考えて注視する必要がある。
交差点の左右確認なんかかなり慌てるし、うかうかしていると確認が追い付かないまま通過!してしまう。
年寄りが前だけ見て交差点をチャリンコで突っ切るわけが解ったような気がする(ワハハー)
交差点の左右確認なんかかなり慌てるし、うかうかしていると確認が追い付かないまま通過!してしまう。
年寄りが前だけ見て交差点をチャリンコで突っ切るわけが解ったような気がする(ワハハー)
術後一週間は少しずつ改善があったけど、その後一週間は残念ながら改善の実感が無い。
う~む、あと35日経つと、満足できるんだろーか・・・・。
う~む、あと35日経つと、満足できるんだろーか・・・・。
てな訳で、単車に乗って山のワインディングやサーキットを満喫するなんてのは、今はまだ夢のまた夢。